東の森

舞台訪問(聖地巡礼)とか色々マイペースに

自分のために歴史と向き合うこと

1日から開催の展覧会にめちゃくちゃバッシングが集まっており、とても心苦しい......

先週講義の時間に、中国から来た留学生と歴史認識に関する話をした。

日本の文化に関心がある方なのだが、私を日本人と知って最初に言われたのが歴史認識の問題である。これまで様々な留学生と話す機会があったが、最初にそこから切り出されたのは初めてだったのでとても驚いた。

内容は日本政府の否認主義を批判するもので、例として南京大虐殺の矮小化や731部隊などによる数々の人道に対する犯罪を認めない姿勢に関してである。

私自身その人が言っていることに対して完全同意しているにも拘らず、ショックを受けていることに少し恐れを抱いた。1年ほど前から日本の歴史修正主義・否認主義について自分から調べており、日本帝国主義の過誤を認識しているにも拘らず、だ。

その後小一時間ほど考えた。改めて1:自分自身も、いまだ国家(Nation)を自分のアイデンティティに少なからず含めていたこと。2:自分のアイデンティティに国家(Nation)を含めていなくとも、母国の風評は他者から自分に向けられることを覚悟する必要があること。に気付かされた。当たり前の事かもしれないが、現実に直面して初めて腑に落ちたと思う。

自分自身と向き合え、かつ相手の気持ちが聞けたとても嬉しい経験だった。

また、他のナショナリティの人と話すとき、これまではあまり歴史の話をせずに、自分はどのナショナリティにも属さない、世界市民のつもりでいた。

しかしながら、それでは足りないのかもしれない。もう歴史修正主義について知ってしまっているのだから、歴史認識の話にも臆さずコミュニケーションを取り続けなければ本当の意味で世界中の方との対話ができないと感じた。

この経験のおかげで、堂々と歴史に向き合えると思う。多謝。

 

ここで自分にとり、歴史問題について考える助けになったものをいくつか紹介する

高橋哲哉先生の本が無いって?ごめんなさい、ほとんど読めていないんです...

1.『「日本スゴイ」のディストピア:戦時下自画自賛の系譜』(青弓社、2016)著:早川タダノリ

ネタ集めの軽い感じで買ったと思う。戦時下プロパガンダの気持ち悪さと、最近流布しているネット言説との相似をいたるところで感じられる。絵が多いから入りやすいね

2.『歴史修正主義サブカルチャー』(青弓社、2018)著:倉橋耕平  

ここ最近溢れているネットやテレビ上のきな臭い保守言説に気づき、その発達経緯を把握するとともに、その論理的破綻を指摘する上で役立った。

3.『日本軍「慰安婦」制度とは何か(岩波ブックレット、2010)著:吉見義明

従軍慰安婦』(岩波、1995)を記された日本近現代史の専門家が書いている。読めばわかるとは言いたくないが、非人道的な強制行為として人々が売買・連行されていたことがはっきりする。これを読むまでは自分も慰安婦問題に疑義を呈していたことを深く反省したい。

関連として「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam)」(所在地:新宿区西早稲田)を紹介したい。

wam-peace.org

4. 『Playing the Victim | Historical Revisionism and Japan』(YouTubeCreator: Knowing Better

m.youtube.com

南京事件に現地で撮られた写真を交えてかなり触れている。英語媒体でも歴史否認の問題をしっかりと認識し、YouTubeという消化しやすい媒体でコンテンツを作ってくれたことに感謝。このほかにも教育の民営化や移民受け入れについても見応えある動画を上げている。英語の勉強にいかが

5.『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書、2015)著:石田勇治

石田先生はナチ研究を専門にされてきた方だけに、ヒトラーの人生からナチ党が躍進し民主主義を壊していく流れが明快。しかも原著日本語なのがありがたい。ナチが使った戦術や言説そのものをこの現代で目にしていることにも気づく。オーストラリアにいるせいで手元に書籍がないから引用できないのが悔しい。

6.『1984年』(Secker&Warburg、1949)著:G.Orwell

一昨年梅田でPenguinが出した英語本を買ったのを覚えている。真理省がやっている人の抹消(unpersons)や報道・発言の書き換えを通じた歴史の書き換え、似たようなことが既に起こっていないか?どことは言わないが。

7.『歴史教科書をどうつくるか』(岩波新書、2001)著:永原慶二

名古屋のジュンク堂で見かけてそのまま買った本。学校における歴史教育のなかで自由主義史観(共産党から転向した元東大教員が提唱した……)や、「つくる会」の影響が強くなってくる中で出された著書。今隆盛を極めている保守言説には対応しきれない部分もあるが、歴史教科書問題の経緯や初期の対抗言論を学ぶ上で役立った。家永三郎さんを長年支援してきただけに家永事件に関する著述は詳細。「教科書検定が思った以上に検閲だな。。。」と感じたのはここからだったと思う。

 

この他にも、00年代から南京事件に関する記事を独力でまとめつづけたブログを以前見つけただが、ネットの海に埋もれて見つからない

 

追記するとその後政治体制の話になったとき感じたのが、中国政府による少数民族迫害や、政治犯の投獄など様々な人権侵害を批判する上で、日本政府が過去に起こした戦争犯罪を認めないということが足枷になっているということ。確かに論点は全く異なっており、一方を批判することで他方を棚上げにすることは論理的誤謬なのだが(cf: whataboutism)、人間感情として訴えかけるためには、やはり政治家が歴史と向き合い、過去の國體と決別しなければならないと感じた。